冬帝より


From Winter

実にかぐわしい香り放つ料理たちに、底冷えのする悪意が感じられた。ルークは、ひくり、と頬を強張らせた。なんだこれ。その様子をいち早く察したガイが訝しげに「ルー、」主でもあり親友でもある子どもの名前を呼ぼうと口を開いたけれど華麗に失敗した。ルークと同じように顔を凍りつかせて幾度か口をぱくつかせる。本日の料理人は、死霊使いの名を冠する男。さあ召し上がれと笑顔で並べられた料理はすべて余すところなくキャロットオレンジの惚れ惚れとする美人たちがのぞいていた。ライスにスープにサラダ、ただのライスにスープにサラダではなくて、すべてその前にキャロットという橙色の悪夢がつく。思わずガイはその橙にぐにゃぐにゃしたゴーストホワイトたちを見てしまって口許を押さえたけれどとりあえずこの瞬間は自分の身の上に降りかかった災厄でないと割り切り心底安堵して「ルークのかみのけもにんじんさんだよなあ」と無責任なことを口にした。しかし色恋よりも食べ物に目が眩む七歳児に対するこの鬼畜ぶりを思うと、自分が彼の怒りを不幸にも間違って買ってしまったときは、たぶん、死ぬな。心なしか潤んでいる翡翠色は皿とにこにこと微笑む男の間を何往復も行き来してそれでも微塵も崩れない笑顔にとうとう「い、いた、だきます……」これほどまでに聴く者の胸に迫るいただきますがあるだろうか。ガイとアニスは胸を押さえた。食事の挨拶というよりは、お別れの挨拶だこれ。ナタリアの常人とは183度くらいずれた思考回路は『幼馴染みは長年苦手だった食べ物をこのよく晴れた日に克服したのだ』と判断したようで「えらいですわ、ルーク!それでこそ王家の蒼き血が流るる者です!」と嬉しそうだ。お願いです王女さまあなたの大切な幼馴染みの頬がきらきらとしているのに気づいてあげてください。あっ、スプーンを何十回もかき回して大嫌いなにんじんさんを少しでもすり潰そうとしてる。ガイとアニスは揃って瞼を拭った。その景色を横目に一人そ知らぬしらっとした涼しい顔で飴色の美丈夫はぱくりとキャロットを放り込んだ。すると一人の少女が何気なく青い軍服に背を向けるようにして座って「……八つ当たりはやめてください、」上等な紅茶のように深く澄んだ双眸が僅かばかり瞬いて傍らでは子どもの小さな悲鳴が上がり何処までも広がる真っ青な空に吸い込まれていく。ティアがその目も眩むような青を見上げた。そして次第に形のいい眉が顰められていって最終的には親の仇でも見るような目つきになった。長い旅ですっかりと荒れ果ててひび割れた樹木 のような唇からひどく暗い、恨めしそうな声が洩れる。「わたしも、憎らしいって思いましたから」


この空を。ひいては、世界を。たぶんそれが彼女の本音だったのだろう。あんなにも優しく世界を愛していた子どもに世界ばかりが優しくない。『……きれー、だ』うわあ、という感嘆の声に続いてそんな呟きが後ろから洩れて、誰もが最後尾を歩いていた彼をふり返った。呼吸を忘れたのは一瞬で、ささやかに走った亀裂を見て見ぬ風を装って「ご主人様がそんなことを言う日がくるなんてねぇ」取り繕うように笑い飛ばした。さらに少女が「うっはあ、ナタリア、ヒールだよ!ルークが頭悪くなったちゃったっ!」と真剣な顔でそう言うものだ から小さなチーグルがですのですのと騒ぎだし些か純粋培養過ぎる姫が「ルーク、気をしっかり持ちなさい!わたくしがいま、」回復譜術を発動しかけてきらきらと暖かなみどりいろが彼女の指先から零れてそれを止めようと榛色のロングヘアーが揺れる。ジェイドはひとり、ぼんやりと、青い空に映える炎のような赤を見つめていた。瞬きをくり返している内にじわじわ、じわじわじわ、と瞼の奥の赤が青に溶けて、いや蝕まれていく気がして自分の足元が崩れていく感触に襲われる。そしてきれーだと微笑む子どもの頬を無性に、腫れあがるまで殴って叫んでやりたいと思った。青空を見る度にジェイドが密かに鼻を鳴らすようになったのはこの瞬間から、である。八つ当たりですかと問うと、「はい。しかもかなりわりと大人げないと思います大佐」いつになくきっぱりと言い切った彼女に「戦場で骸を漁りあまつさえ膝をつかねばならない人物に死霊使いは人に非ずと賛美された男が、ですか」そうたたみかけても、彼女の答えに変化はなかった。ジェイドはティアの皿をちらと見て「そう言えば、貴方もお嫌いでしたねえ」これは失礼をしました、と微妙に穴が空いたキャロットたちをめがけてフォークをぶすりと刺す。クールビューティーと称される少女の顔に、羞恥と怒りの花が見事に咲いていた。記憶は残る、とあれは言っていた。いいや、違う。記憶さえも被験者という絶対の存在に奪われるのだ。それを教えたら彼女はなんと言うのだろう。









残さずに食べたかと遠回しに訊くと名前を呼んだ時点ですでに華奢に見えた肩がさらに気の毒な程に華奢に見えた。子どもはひどく申し訳なさそうにそして普段よりも舌足らずな声で「ご めん。やっぱちょっとだめで、俺、少しガイに手伝ってもらっちゃったっ……」と実に素直に白状した。これにはさすがのジェイドも罰が悪そうに苦笑をひとつして夕日を溶かして閉じこめたような髪を撫で驚きのあまり丸くなった翡翠の前に小さな皿を差しだした。「ささやかなお詫びです」ルークはお詫びって何と小首を傾げたけれどジェイドはそれには取り合わず紅い瞳を綻ばせる。頭をひねりながらもルークはやはり何処までも素直だったので律儀に受け取って流されるままそれを口にした。瞬間、「美味しい……、」ルークの目がうっとりと輝く。リズミカルにフォークが運ばれていく様をジェイドはぼんやりと見ながら、口唇を開きかけて、けれど引き結んだ。(……我ながら、いたずらにセンチメタリズムすぎる)すると、目の前の子どもはあと少しのところで完食しそうだった。(青い空、それは死に神なのだと叫んでも、あなたはきっと微笑むのでしょう)(だから、この世界を微塵も美しいなどと思わない私が、そうですね、相槌を打って しまうのだ)(笑う貴方が、あまりも気高く、孤独で、憎たらしいから……子どもの癖に)ジェイドは些か不似合いなその感情を強引に追いやって、子どもが絶賛したそれはキャロットケーキと言うのだと、どのタイミングでどんな笑顔で言おうかと考えることにした。







殺した嗚咽、殺した言葉、殺した体温。 これらはすべて貴方を象るもので、世界に殺されゆく貴方に、送る。



- end -