Adult


成長する

何をやらかすか想像もつかないのが一匹いてわりとそのストッパーになりそうだと思っていた少女も全然駄目でむしろその逆だったことに、眩暈を覚えた。けれど、見事な赤色を地面に散らして動かない彼の姿と泣き叫ぶ少女の姿をこの目に映した瞬間、心臓に細い(けれど)(とても、深い)亀裂が走った。(みし、)アリエッタの叫び声が耳を滑っていく。(みしり)「おまえたちなんか、死んじゃえ!」(みしみし)「ファントムはわるくないもんっなんにもわるいことなんかしてないもん」(、みしみしみしっ)「いおん様のことわるく言ってファントムをなぐったっ。おまえたちなんか、死んじゃえ!」仲間と会話をしていたらいきなり子どもに殴り倒されて(しかも、強い)少し ばかり反撃して気を失っただけなのにどうして見ず知らずの少女に死ねと罵られなければいけないんだ。完璧に頭に血が上った男はその細い体に暴力をふるおうとしている自分に何の疑問も抱かずに拳をふり上げたが、


「殺しますよ?」




弦を爪弾くような声が割り込んできた。ふり返るとそこには少年とも少女ともつかない顔をした子どもが完璧すぎる笑顔を向けて立っていて(何という顔をするのか!)本能で恐怖を感じた男の肌は粟立った。

「その子に手を出したら、殺します。ああでもその安い命を天にお返しになられた方が幸せかもしれません。───あなたはこれから永遠に愛すべき祖国の民という民に恨むらくは愚かにもダアトに牙を向けたあの命知らずと怨嗟の声高らかに、うたわれるでしょうから」


吐かれた言葉を理解しきれていないのか男はただ呆然としていて(まだ、足りない)さらに畳みかけるようにして「申し遅れました、」一等の笑顔を浮かべて言ってやった。

「ローレライ教団の導師を務めさせていただいている、イオンと申します。そしてあなた方が暴力に訴えた方は私の、導師守護役と、彼女の大切な友人、です」

瞬く間に男の顔から血の気がひいていって力なく崩れ落ちた。口からはまるきり意味の成さない呟きを洩らしている。「、連行しろ!」騒ぎをききつけた銀髪の軍人が低く厳しい声で近くの兵士にそう命令して乱暴に立たされた男は我に返ったのか「しらなかったんですしらなかったんですしらなかったんですっ」と馬鹿みたいに鼻水を垂らしながら必死にそう言い募った。ふたまわりも違う男がこんな子どもに泣きながら頭を下げる光景は非常に滑稽なものだったが、心は微塵も晴れず苛つきさえ覚えるのは何故なんだろう。口を開こうとした軍人を視線で制してイオンは口早に言った。

「謝罪は結構。ダアトを敵に回したくないのなら早急にこの国一番の医者を用意しなさい!」





目を開くと見慣れない天井が視界に入って頭をひねった。ふと突き刺すような視線を感じて朧 だった意識が急に明確になる。緑色の双眸がじっとこちらを見つめていた。(……えっと、もしかして怒ってる……?)しばらく彼はまるで美しい彫像のように微動だにしなくて原因が何だか思い当たらないファントムは泣きたいくらい居心地が悪い思いをかなりの間させられて考えた末にベッドの中にもう一度潜ろうとしたらものすごい勢いで毛布を剥がされた。彼の唇がゆっくりと開かれる。

「アリエッタが疲れて眠ってしまうまで泣き止んでくれなかったのも僕がグランコクマに喧嘩を売ってしまったのもぜんぶぜんぶ貴方のせいですそんなはったり筋肉で大人に勝てるわけないじゃないですかわかってるんですかそれにねあんなくだらない誹謗中傷は導師になった時点で百万回くらい耳にして飽きまくったんですまあ全員黙らせてきましたけどそんなはったり筋肉のくせにもし万が一大怪我でもしていたらアリエッタは泣きすぎで干からびるしそれにつき合わされる僕は頭がおかしくなりますだいたい、」

それまで一息で罵ったり怒ったり心配したり罵ったりした彼が、急に言い渋った。無意識なのか意図的なのかファントムから視線を外して続きを紡いだ。

「だいたい、僕のこと、嫌いなんでしょう?」

自信なさげにそんなことをぽつりと言うものだから(あぁ、くそ)声が出ないことを初めてとても悔しいと、思った。言えない言葉たちの代わりに片方の手をぎりぎりまで伸ばして彼よりも深い色をした彼の頭を撫でる。やはり「イオン」は優しいのだ。ただ彼は彼よりとてつもなく不器用なだけで。伝わるかどうか一抹の不安を抱きながらもただ祈って、何度もその頭を撫でた。(きらいなんて、うそだよ。)(ごめん。叩いてごめん。嫌いだと思ってごめん。)(心配して、怒ってくれて、ありがとう。)すると、イオンが抱きついてきた。突然のことに目を剥いたが二人分の体重を何とかぎりぎりで支えることに成功してほっとしたのも束の間、

「本当にもう君もアリエッタもどうしようもないっ。最上級です!」

彼(なり)の賛辞なんてもしかしたら一生聞く機会がない気がするのにファントムは大変混乱していてちょっとそれどころじゃなかった。この鳩尾にあたる、これは、何だろう?ティアのメロンや適度なナタリアのものより劣ってアニスと同じくらいもしくはそれより小さい、この膨らみ、は。馬鹿らしいとかいやいやいやとか胸中で言ってみてもそれは何だか虚しい上に全速力で稼働し始めた脳は停止することを知らないらしく「導師守護役は女性のみ」というさらに不幸な事実を古い記憶からひき出させた。そろえたくなかった判断材料がそろってしまったファントムはどうすることもできなくて固まった。そんなファントムの様子を見てすぐに察したイオンはわざとぎゅうぎゅうに抱きしめたが呆然としすぎているせいか反応が小鳥のように弱々しくわりと不満だったので、むくむくともたげてきたいたずら心に突き動かされるまま行動する。

「秘密、」

そうしてハーモニーブルーのすぐ下に口づけてやった。




「お前も人の子だったんだなぁ」

「今すぐ黙らないとダアト式譜術で陛下の口を縫いますよ」




- end -