Coccolare


いとし

「だいすきです」

そんな真剣な声が聞こえてきてファントムは、久しぶりにどきっとしてしまった。声の主はたぶん少女でしかもかなり、幼い。けれどそれは幼い故に、ただ幼い故に、例え世界が滅んでもあなたが好きと叫ばずにはいられない真っ直ぐで強い響きを持っているように感じた。ふいに、はじけるように、無責任にも叶えられない約束をしたひとのことを思い出す。それは溢れて止まらなくて、心臓が穿たれたように痛んだファントムは、無意識にそこを掴んでいた。

「うん、大好きだよ」

何故だかわからないけれどそれは少女の望む好きとは種類の異なる好きなような気がして、あぁと思った。何か、こう、透明なガラスの壁を叩いてるような。「ちがうんです。だいすきなんです」少女は悲しそうにとても悲しそうに、言った。「うん。僕も。僕も、君のことが大好きだよ」たぶん彼女は相手の顔を見ずに、ただ「ちがうんです」と同じ言葉をくり返し口にしていた。そうしなければ大好きな人をさらに、困らせてしまうことになるから。



「こんにちは、」

偶然(本当に、偶然)話を盗み聞きしてしまったあの後ろめたさなどすっかり置き去りに何となくぐるぐるした心持ちで茂みから少女がいなくなった方をぼんやりと見つめていたら、よく知ったあの透き通るような声が降ってきた。見上げるとそこには、彼よりも鮮やかなビロードの髪の彼。きっと情けない声が出ただろうから悲鳴をあげたつもりでも悲鳴があがらないことにちょっと初めて感謝した。「ああ、赤い小鳥さんでしたか」目の前で虫も殺さぬ顔をして笑っているけれどその目には何かを宿しているこれは、やさしいやさしいと口元に笑みを浮かべて歌うように言っていたあのやさしい彼じゃない。これは彼じゃないんだ。今ならナタリアの気持ちがとても理解できる。顔は鏡に映ったように同じなのに自分が知っている人じゃなくて、どんな顔してどんなことを言えばいいのかわからなくて、彼はあの時この世界に溶けてしまったからこれは彼じゃなくて、いやまだ彼はこの世界に誕生すらしていないのか。彼女には困ったものです、面影を残した少年は、やはり面影のある笑顔でこう言った。

「化け物が、恋なんてするわけないのにね」

少女は異端だった。女の股から生まれ落ちはしたが育て心を通わしたのはそれだったから畏怖と蔑みの念を込めて彼女もまた呼ばれていたのだ。化け物の皮をかぶったお前が言葉を喋るのもおこがましいのだからお前は喋っちゃいけないよ。そんなことを真顔でほざいた大馬鹿者どもをファントムは全員黙らせていたのだった。(わたしと、あそんでくれるの?)(だっ、だめだよ)(やっぱり、だめ。だって)(だって、ファントムがいじめられてしまう、です)じゃあ、母親の胎内から生まれて すらいない自分はどうなるんだろう?真っ赤な瞳でそんな胸が痛くなるようなことを言った子どもを見ながらぼんやりとそう思った。ふざけるな。この空が青くて美しいことに意味なんてなくて、この世界が止まらずに動いていく意味なんてないのと同じように、生きる意味なんて、ない。ただ、存在が命がそこに輝いていることが生きているこの刹那が何物にも代えられない素晴らしいことなんだ。ふざけんな。もしかしたら一番化け物と呼ぶに相応しいレプリカだって、人を好きになったんだ。誰かを好きになったりとかする心は、あるんだっ! 「それではさようなら。くれぐれもそのままどうか大人しく、鎖につながれていてくだ」感情に流されるまま手を放っておいたらパン、と乾いた音をさせてその白すぎる頬を叩いていた。あまりのことに驚いたのかそいつは口を何度もぱくつかせている。「なっ、なっ、なにっ……?」

これは微塵もイオンなんかじゃなくてこいつなんか大っ嫌いだとすら思うのに、どうしてこんなに叩いた手が痛くて悔しくて悔しくて仕方がないんだろう───。



- end -