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我を過ぐれば憂いの都あり。
我を過ぐれば永遠の苦患あり。
我を過ぐれば滅亡の民あり。
……………………。
……………………。
滔々とした声がヴァンの耳を打った。次いで鼻先を掠めるのは、溢れんばかりの血の臭いだ。 駒のひとつにしか過ぎぬ少年は、その腹を貫かれたきり、ぴくりとも動かない。ヴァンは、静かに息を吐いた。成る程、この子どもは唯のピースだ。おのれの計画を成功させるため、暗示を掛け、声を奪い。アクゼリュスをも崩落せしめんとした。それが今、突如として現れた正体不明の少年に刺し貫かれ、壊れかけている。怒りこそすれど、落胆する謂れはない。しかしこの瞬間、ヴァンは確かに失望したのである。
「ねぇ師匠、俺を連れて行って下さいよ」
詩の一節を口ずさんでいた少年が、ヴァンを見据えた。
「ほう?貴様はこの先に何があるのか知っているのか?」
「『しかして、我、永遠の前に立つ』……そんなことは、とうに承知していますよ。俺はアンタたちと違って、幾
万のニンゲンが死のうと何とも思わない。だが『神』に操られることだけは我慢ならない」
「……ほう?」
ヴァンの脳裏に、花のほころぶように笑むひとが浮かんだ。けぶるような金糸の髪に、澄んだ湖いろの瞳。きつ
い眦は、彼女を齢よりも大人に見せた。永遠の淑女ではなく、刹那の騎士たらんとする少女だったから、当然なのかもしれない。甘えたの弟を叱り、それを許容するヴァンをも諫めた。曲がったことが大嫌いな頑固者で、意地っ張り。弁は立つ方なのに、自身の思いを口にすることは不得手だった。着飾りたいばかりの年ごろであったろうに。少女は、剣こそおのが使命の全てだと、言い聞かせていた。ゆえに、マリィベル・ラダン・ガルディオスは、命を賭して、弟と国を守ったのである。ヴァンは今でも、その魂のかたちを忘れられない。
――だからこそ。愚かな施政者たちが、世界が、許せない。
「いいだろう。ならば、そこの賊を止血しろ。死なれては、処罰することも叶わぬからな」
「了ー解」
緑の瞳に赤い髪を持つ少年は、唇を歪め。乱雑に、血に濡れた身体を掴む。途端、微動だにしなかった導師が「なにを、なにを言っているのですか貴方たちは……ッ!」と声を荒げた。
「導師。私たちは謀れていたのですよ。実に危ないところでした」
「な……っ」
「ですがご安心下さい。特務副師団長ファントムの名を騙った賊は、当人が撃退しましたゆえ」
白い面が、かっと赤くなる。導師は、感情を押し殺すように、一度、目を瞑った。噛み締めた歯の奥から、低い声が紡がれる。
「……ならば、このまま彼を捨て置いても問題ないでしょう。彼を裁くのは、事が済んでからでも遅くない筈で
す。ましてや罪人である彼を連れて行って、何をさせようと?――この、導師イオンの命を、奪うつもりです
か?」
「――お優しい貴方様のお心を少しでも慰めようと止血させましたが、彼は重罪人です。このまま解放する
訳にはまいりますまい。ですが、貴方様がどうしてもと仰るのであれば……。ファントム。その賊を殺せ」
ヴァンの言葉を受けた少年が動く。イオンは絶叫した。
我を過ぐれば憂いの都あり。
我を過ぐれば永遠の苦患あり。
我を過ぐれば滅亡の民あり。
義は尊き我が造り主を動かし、聖なる威力、比類なき知慧、第一の愛、我を造れり。
永遠の物のほか物として、我より先に造られしはなし。
しかして、我、永遠に立つ。
汝ら此処に入る者、一切の望みを棄てよ。
我、レプリカント<地獄の門>なり。
※ダンテ『神曲』地獄篇第三歌より引用。
- end -