摘み積んだ罪が満ちた


A Feeling Of Sin

ファントムは飛び起きた。心臓の音がやけに響いて気持ちが悪い。口に手を当てて、腰を折り曲げる。しばらくそうしてから枕の下に隠しておいた剣を取り出した。祈りを込めて剣に額を寄せる。どうか、この剣で師匠を止められますように…………。還りたてのころの体は俄には信じがたいほど未熟で、頼りなかった。かなりの量の経験は積んでいたけれど体が追いつかず、イメージと現実がくい違うことも多々あった。つまりあの人を止めるには力が足りなかったのだ。この状態で剣を向けたら最後で瞬く間にのど元に剣を突きつけられてそうしていとも容易くあのひとはその刃を引いて俺は死ぬのだろう。たぶん、言葉ひとつすら落としてくれずに。だから、というのも言い訳めていて嫌だけれど、だから、待っていた。あの頃に比べれば完全ではないかもしれないけれど少なくともこの頃のあの人になら匹敵するし、アクゼリュスの人たちを殺すつもりもない。二度と、あんな想いをするのは嫌だった。剣で人を断つのはまだいい。きちんと殺した感触がファントムの中に残っていく。けれど、あんな、天災のように突然奪っていって殺したひとの顔も覚えてあげられず誰に謝ればいいのかわからないなんて、ひどく恐ろしかった。一番の安全策としてはアクゼリュスに着くまでに止めることだが、道程には何人かの神託の盾兵がつくから巻き込んでしまうのは可哀想だ。あの人と二人きりになるアクゼリュスでのパッセージリングの場がたったひとつのチャンス。イオンは解呪後すぐに避難させれば問題ないだろう。…………こんな夢を見たのもすべて、緊張しているせいだと思った。








惨劇は想像を遙かに超えるものだった。肌に絡むような障気にそこら中に倒れている人間のぽっかりと空いた穴から洩れるのは耳を塞ぎたくなるような呻き声か既に物言わぬそれの死臭。男、女、子ども、大人とかそんなものは関係なしに誰もが必死に、生を乞うていた。その光景たちは思わず無力さの前に膝を折りたい気分にさせるものだったけれど、仲間の誰もが(意外にも、お綺麗なお坊ちゃんには刺激が強すぎたかなとかなり屈折した心持ちで眺めていた主人でさえ。それはあのジェイドですら目を瞠るものだった)自分のするべきことを即座に理解して各々が行動しようとしていた。すると沈黙していたジェイド・カーティスがティアとナタリアは宿屋で待機して下さいと口火を切り、今すぐにでも弱々しく呼吸をくり返している人に駆け寄ろうとしていたナタリアが何故ですのと不満の声を上げ、人を運ぶときの腕力の問題や気休めにしかならないかもしれないけれどやはり回復術が使えるからとティアに諭される。一瞬目を閉じたナタリアはそう、そうですわねと強く頷いて続いてごめんなさい私自分を見失っておりましたわと謝った。腕力に絡む問題なら子どものアニスは論外だろうけどトクナガを巨大化させれば大人の二・三人は運べるという本人の言葉もあって彼女はルークたちと同じように倒れている人を宿に運ぶことになり、おそらく僕もお手伝いしますと言いたかったイオンのぼく、のあたりでイオン様はティアたちと一緒に宿に向かって下さいとジェイドが先手を打ってさらに彼の守護導師役の少女がだめですよぉそんなことしたらイオン様また倒れちゃいますぅ!と一呼吸分の隙もなく畳みかけた。自分の体力の無さを自覚している彼は、苦笑をひとつして頷く。その鮮やかな手際に、仲間の頬が僅かに弛んだ。







「ティア?」

手を止めてふり返ると「…………ああ、やっぱそうだ。ティアだ」のどの奥で若干ごろつくようなそのトーンはとても聞き覚えがあってけれどありすぎて誰のものかわからないし姿が見えないことにティアはひどく困惑してただでさえきつい口調が思わずもっとぶっきらぼうになってしまう。「…………誰?」するとその人物が困ったように頬をかいた気配がなんとなく伝わってきた。

「あー。実際に会ったのは初めてだから無理もないかあ。うん、でも、はははははは安心して。あいつ、死ぬからさ」

ひどく子どもじみた無邪気な喋り方に気持ちが悪くなってそれから距離を取るように後ずさろうとして、けれど両足は正常に作動せず、もつれて後ろにひっくり返ってしまう。

「、なにを、」

くちびるをぱくつかせてようやく絞り出すことができたのは途中までだった。何を言っているの。声はティアの様子など気にも止めずに、何処かうっとりとした調子で続けた。

「だってあいつが死ねばティアは俺と約束をしてくれるだろ。だから、あいつを殺してくるね」

脳裏を駆け抜けたのは夕焼けのいろ。ティアは、自分の心臓が殺される音を聞いた。










ぶすり。












一瞬、何が起こったのかわからなかった。え、と思ってそれで音の鳴った方をさぐって視線は自分の腹部にたどり着いててらてらと輝く白銀がそこから突き出ていると理解した刹那、喉の奥から赤が吹き出した。なになんだこれ、熱い。焦げるように熱いのに、寒くて仕方がないのは何故なんだ。瞬間、今朝見た夢のイメージが脳裏を滑っていく。そうして不思議なほど落ち着いた気持ちでああこれはこのことだったんだな、と納得する。


一番最初に見たのは水色だった。ごぽり、口を動かすと周りの水が唸る。水の中なのに苦しくないことがたまらなく不思議だ。すると一瞬、視界がぶれたような気がして目をぱちくりさせる。じっと一点に視線を固定させているとものすごい力が首にかかって、ぎりぎり、ぎりぎりと少しずつ気道を塞がれていってだらしなく鼻水が出たけれど水の中だからあっけなく綺麗になる。そいつは暗い穴を大きく何度もぱくつかせて呪いのようにある言葉をひとつくり返しくり返し叫んでいた。目の前に迫ったそいつの顔は────────。










赤く、ただ赤い世界の中、自分と同じ朱色が微笑んでいた。










「会いたかったよ、ルーク」



- end -