錆びた人魚の足


Mermaid's fin is decayed.

命をやりとりする耳障りな音。吹き出る色。隙のない呪文。弾ける吐息。這い上がってきた感覚にくらりと目眩がして、片膝をつく。わかってたよわかってたけれど、あの頃の記憶なんてもうどこにも存在しないんだ……。大好きな親友だったガイの中にも、友人だと言ってくれたジェイドの中にも、消えないでと目を真っ赤にして泣いてくれたアニスの中にも、大切な幼馴染みですわと微笑んでくれたナタリアも、やさしいやさしいと口癖のように言っていたやさしいイオンも、ずっと見てるから待ってるからと叫んだティア、も。(アッシュは、唯一よかったかもしれない。だって歪みはほどけてあの居場所を奪わずにすんだから。)何度、弱っちくて卑怯な俺は、夢なら覚めればいいのにと祈って夜を眠っただろう。


するりと細い手が伸びてきた。見上げるとイオンがひどく心配そうなそれでいて何かを躊躇っているような顔をしていた。そのこわばった顔がいつもよりかなり色を失っていることにはっとして身につけている真っ黒な外套を掴んで似合わないなあと苦笑しつつ手渡す。若草色の双眸が揺れて、ファントムは冷たい雫が落ちてくる限りなく黒に近い灰色の空を指した。続いて、イオンの腕をさする。「え、でも、それでは、あなたが寒いのではないですか」の「あ、」のあたりで首を横にふって無理やりくるませた。うわ、やっぱり想像してた以上に似合わない。あっちのイオンなら着こなせるかもしれないけれどああでも中身はともかく肌とかは値打ちのある芸術品のように白かったし笑った顔は普通の綺麗な女の子だったから(表向きは男で通っていたからイオンレプリカたちの性別は全て男にしたらしい。成功したのはシンクやイオンくらいであとの残りは女だったりそのどちらでもなかったようだ。模造品を作るときに被験者に注入する第七音素の加減を調節すれば性別を変えることができるなど今までは考えられなかったようで画期的な実験は最高のできだったと研究者は頬を紅潮させていた。またモースが厄介ごとがひとつ減ったと言わんばかりに喜んでいたので跳び蹴りをしたら口から泡を吹いて沈黙した。それを目に留めたヴァンの拳がすかさず頭を襲撃したけれど表情が何処かうきうきしていたのは気のせいか)やっぱりイオンは似合わないかも。すると、「……体弱いくせに何言ってンだよ馬鹿」という普段より低めなシンクの声が耳を掠めて即座にその足を踏みつけようとしたけれど、ひょいと避けられた。……かわいくない。「ふふん、」とかなり不敵な態度で微笑まれてわりと腹が立ったので追い払うように手をふった。シンクは一瞬おもしろくなさそうに鼻で笑ったけれど拍子抜けするくらい素直にいなくなった。その行動がファントムが身につける何かを探しに行った為だとは予測ができなかった。

「仲がいいんですね、」

ぽつりと呟かれたイオンの言葉にファントムは頭をひねった。純粋に、仲が良いのか、あれ。イオンがおかしそうに声を立てて笑ったので少しだけ元気になってくれた気がしてファントムも顔をほころばせたけれど「、ああそうか、そうだったんですね、」と彼は一瞬ぼんやりとしてそれからきゅっと唇を引き結んで言った。

「……僕は、ずっと、あなたに会いたくなかったんです。いえ、会ってはいけないと思ってました。それは、僕が、導師イオンの偽物だから。あなたとイオン、は、特別に仲がよかったと聞いたから。けれど、僕はあなたに、会いたかった。会いたくなかった。でも、僕は、あなたにあいたかったっ」

外套に感謝した。僕は、とても臆病だから、ファントムの顔を真正面から見ることができない。けれど何とか勇気をふり絞って顔を上げると、彼の翡翠色が湖をはっていた。きらきらが光ってそれからイオンはファントムにぎゅうぎゅうと抱きしめられていた。

「ずっと、謝りたかったんです。ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい。生まれてきて、ごめんなさいっ……。

体はとてもつめたかったけれど、きらきらが落ちたところはとても心地が良くてイオンは目を閉じた。





ぴくりと、ファントムの体が緊張感を孕んで動く。同じ所に視線をやると、そこには、聖なる焔の光が剣を携えてこちらに向かってきていた。

「、イオンを返せーっ……!」

真紅の薔薇のような髪を豪華にまき散らして叫んでいる。イオンはルークを制止しようとしたけれど、ファントムがイオンの口元を押さえてゆるりと微笑えんだのでそれは叶わなかった。そして彼は一度目を瞑って顔を隠すように襟を正してから剣を抜いたのだ。瞬間、ファントムは無意識に言葉を呟いていてイオンが理解できたのは何かを謝罪しているというところまでだった。


ごめんね。



ごめん。



俺は、幻日で、敵です。



- end -