逃げ水


A Road Mirage

「っ、くくくく……あはははははははは!」 突然笑い声をあげたジェイドに、仲間のルークもガイもナタリアもアニスもミュウもあのティアで すら「ジェイドが声をたてて笑っている現状」をのみこめずきっかり三呼吸分ぽかん、としてい た。『アンタの、紅茶みたいできれえだな』世間知らずで暴君の限りを尽くしていた籠の中の鳥 がそう言ったのは、あぁ───いつのことだっただろう。





ジェィドは内心、彼にしては本当に珍しくとても驚いていた。しかし子供にそれを知られるのは 大変癪だったので、天より高いプライドと長年培ってきた処世術を駆使して何とか顔面の筋肉 を押さえることには成功した。(ここまで動揺させられたのは親友が溺愛しているブウサギに 自分の名前をつけられた時以来だった。)最初は子供が何を指してそう言っているのか わからず、咄嗟にお決まりの表情を貼りつけはしたもののジェイドはただただ頭の中でその言 葉を反芻していた。(きれい)(何が)(あんたの)(きれい)(紅茶)(きれい)(誰の?)(わたし の、)ガラス玉のようなターコイズブルーがじっと自分の瞳にそそがれていた所でようやく合点 がいき(……わたしの、め?)いよいよ困惑は大きくなる。(紅茶みたいで、きれえだな)(この血 のような真紅を!)普段は、安全で清潔な軟禁生活故に無知な姿をジェイドたちにさらすことを 嫌がり、公爵子息だというプライドと意地もあってかおそらく初めて見たであろう青い海に対し て素直に喜びを示したりすることを必死に隠していたけれど何の忌憚もなくそう言った子供はこ れまでジェイドが見たこともない表情をしていた。しかし仲間の驚いたような視線に気づいた途 端、さき程まで見せていた無防備な姿はあっという間に消え去って、代わりに、ジェイドの瞳を 素直に賛辞したことを失言だったと悔いたのか、苦虫を十匹は噛み殺した顔をした。ルーク・フ ォン・ファブレが育った楽園という名の鳥籠には同情を示さないこともないこともないが、そんな 甘ったれの面倒を見るのは一生で「今」以外には絶対ないし、キムラスカとマルクト両国の和 平条約が成立した瞬間この愚直な子供の存在などジェイドの中で音もなく永遠に色を失うに 違いないのだ。そして予定よりも早くしかし着実に予定通りその存在は忘却されようとしてい たけれど、子供のこの言葉だけは消えることはなかった。




我に返った者から「あああああ頭は大丈夫か旦那……!」だの「ジェイドさんが楽しそうですの! めずらしいことですの〜でもちょっとこわいですの……!」だの「マジ笑いの大佐ってルークのあ まりの可愛さにちゅーを教えちゃったガイ並みにきもいよぉ!」「あ、あれはあれだちょっとした 復讐のつもりで……!」だの「……えーと、ファーストエイドかしら?」だのぎゃあぎゃあ好き勝手 言っている。王族二人に至っては驚きのあまり声にならないのか後ろで口をぱくつかせている だけだった。 (ああもうまいった、まいりました。) 白状しよう。自分は信じたかったのだ。アクゼリュスを崩落させてあの障気の沼に沈んだ子供 を見てなお、自分のせいではない、だから悪くないと言いはったときは、ほとほと愛想が尽き た。まあそんなものは元よりたいしてなかったけれど。それでも心の奥底では覆して欲しいと 思っていた。この瞳を紅茶の色だと言った彼を、その言葉を信じたかったのだ。 「あーあ。賭け事には自信があったんですが」 「えっ、ジェイドでも負けるのか?」 意外だとばかりにルークが目を丸めた。 「ルークは罪づくりですねぇ」 さらりと言葉を流された。彼がこんな反応をするときはたいてい触れないで欲しいことに触れた ときだ。つみづくり?確かに自分はアクゼリュスを崩落させた大罪人だけれど。けど、なにか、 違う気がする。ものすごく嫌な予感が背中をすべる。眼鏡の奥の赤い瞳が光った。 そうそれだそのにやりとした顔。 「私の瞳はアフタヌーンティーのように澄んでいて、美しい、んでしたっけ?」 「いいいいいいったけど確かにいったけどそこまでいってないっ…………!」 「いやあ私もあんな風に情熱的に口説かれたのは初めてですよーあっはっは」 アニスがいつもより三割増しに黄色い声をあげて熟れた林檎のようになったルークをからかい 始めた。「きゃわ〜ルークってば〜大佐オとすなんてやっるぅ」「ち、ちが……」「ルーク!私は そのように貴方を育てた覚えはありませんわよっ!」「ち、ちが……」「アニスわかってるでしょ。 ナタリアあなたはルークを育ててないでしょう!」「あーあティアもかわいそー」「わっわた し?!わたしは別に……」事の顛末を知っているティアがそれをなだめようとしたけれどその努 力は無駄に終わった。 「───まったく素直じゃないんだからなあ、」 「何のことですかねぇ?」 あくまで惚けるつもりらしい。 ガイはため息をひとつもらした。 まあ神と同じくらいいやそれ以上にプライドの高いこの男らしいけれど。 「ご主人様が慕われるのは使用人にとって何よりってね」 「何を勘違いしているのか知りませんが、私は貴方とちがって───、」 「俺は剣を。じゃあアンタは?」 そう。実はユリアシティでルークを見捨てたときジェイドもある賭けをしたのだ。 (もしもこの愚かしくて哀れな存在が犯した罪から逃げることなくその肩に命を、責任を、背負う 覚悟をしたときは、) 「俺は、剣を捧げよう。じゃあアンタは、何を、あいつに?」 忠誠なんて暑苦しくて厄介なものは却下。剣となり盾となるのはガイの役目だろう。最も相応 しいものは贖罪かもしれないが感傷的すぎる上に効率的ではない。卑屈になるのはルークだけで十分だ。うっとうしい。では、 「騎士になるつもりはありません。」 「へえ?」 「まあ、友人くらいにはなりましょう。」 (そのときは───心から彼を認め、心からの言葉を彼に。) ガイがおもしろそうに笑って一言呟いた。

「やっぱり素直じゃないなあ」



賭けに勝った子どもは 私より馬鹿ではないらしいが、どうやら手に負えない大馬鹿のようだった。



(この血のような真紅を笑ったのは、貴方で二人目でした。)

- end -