手に置けば空蝉


Hollow Words

 お前の一挙手一投足が、どれほど俺の胸を焼いたことか。

 ルーク、お前にはきっとわからないな。







 ファブレは王城と同じ最上階層に居を構えている。その門戸は現当主クリムゾンの私兵によって守られ、限られた者しか立ち入ることができない。贅を尽くされ、手を尽くされ、完璧に仕立て上げられた屋敷。そんな場所に似つかわしくない声が響いた。

「何で誰も来ねぇんだよ……」

 ぎょわわわわわと泣き叫ぶ子どもを前に、ガイラルディアは呆然と呟いた。その声すらも、子ども――次代当主となり王となるルーク――の上げる奇声に打ち消される。改めてルークを見やると、その膝と額は赤く擦りむけていた。おそらく転んだのだろう。誘拐事件から一ヶ月ほど経つが、ルークはいまだ一人で歩くことも食べることも排泄することもままならない。

 ガイラルディアは眉を寄せた。おのれに用を言い付けたクリムゾンも、臥せっては泣くシュザンヌも、見ては見ぬふりをする使用人たちも、目の前でぎゃんぎゃん泣き喚くガキも、ただただ不快だった。

「おい、泣くな」

 思わず低く吐き捨ててると、子どもの泣き声はますます酷くなった。当たり前だ。痛けりゃ子どもは泣く。泣いて助けを乞う。大人は子どもに手を伸ばす。それが普通だ。普通じゃないのか。

 ガイラルディアの横目で、赤い髪が揺れる。その色は、子どもがやんごとなき存在であることを意味していた。けれど実際はどうだ。ルークの泣き声は屋敷中に響いているだろう。だというのに、誰もルークのことを見ようとしない。お可哀想なぞと言いながら、泣いている子どもを抱き上げようともしない。きらきらと零れ落ちる涙を拭ってやろうともしない。

「ちくしょう……っ」

 気づくと、ガイラルディアの手は、子どもを抱き上げていた。腕に、子どもの体温がうつる。石鹸と干したてのシーツの香りが、ガイラルディアの胸を打った。泣き濡れた翡翠がガイラルディアの存在をみとめると、小さな主は「がー!」と首にかじりついてきた。ガイラルディアは内心でため息をつく。

「あのなあ、ガーじゃねぇっての。ガイだガイ」

「が、ががががが?」

「……壊れた音機関か!」

「がー!がー!」

 ルークはひたすら呼び続ける。

 まるでおのれを待ちわびていたかのように。

 嬉しそうに。

 それから一匙の責めも込めて。



「あーもー仕方ねぇなぁ……」

 この時、ガイラルディアは苦々しく呟いたつもりだった。しかし、その面に穏やかな笑みが立ち上っていたことに、彼は気づくことができなかった。







 ※高浜虚子「手に置けば空蝉風にとびにけり」

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