罪に罰に無遠限のあなたに、いまひとときの永遠を


Everlasting

馬鹿な女だと怒らないでくださいませね。わたくしは、あなた以外、愛せませんわ。



さくりさくりと足を進める。ちらりと横を盗み見ると予想通り彼の表情はわからなかったのでナタリアは心の中で口をとがらせた。別についてこなくてもよろしかったのに。何となく気まずい雰囲気も手伝って意地悪くそんなことも思ってしまう。「貴女に命を落とされでもすると私が過労死します。まあ正直、こんな時間の無駄はないくらい、忙しい身の上なのですが」と、簡単に見透かされた。「ねぇ、偉大なる、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア?」嘘くさいあの必要以上に晴れやかな笑顔しかもわざわざフルネームつきで。「……ふふっ、」相変わらずの面倒くさい性格についつい笑みがこぼれてしまい「ご、ごめんなさい。なんでもありませんのよ」ジェイドが何というかものすごく変な顔をしていた。それも何だか微笑ましい。懐かしい会話のリズム。たぶん、ものすごく屈折している彼との交流はそういえばこんな独特な感じだった。 (素直に心配だと言えばよろしいのに。まったくお礼を言う機会を逸してしまうわ!)ああでもそういえば、「わたくしたち二人きりというの、初めてですわ……。ふふ、何だか変な感じでどきどきしますわね」綺麗な宝石がふたつこぼれそうになってさらにジェイドが変わった咳をしたものだからナタリアはびっくりして彼はそれからものすごく頭が痛そうな顔をして、「……あー、ナタリア。不用意な発言は控えなさい。思うところのある人に決闘を申し込まれそうなので」とぶちぶち言った。


さくり。
一際大きく地面が泣いて、それまで楽しそうに弧を描いていた彼女の唇が固まった。「、すみません。失言でした」ジェイドはそれきり口を閉じた。響くのは二人の規則的な足音と気まぐれに吹く風だけだったので、記憶の波にさらわれ始めたナタリアが眩しそうに目を細めた。(くり返しくり返し思うことがある。)(ああでも今思えばあれがさよならの代わりだったのでしょうね、)




夢を見た。いやこれは夢じゃなくて記憶だ。甘くて幸せな飴玉は一瞬で舌の上を溶けて次に焦げた鉄の味が口に広がる。あ、と思ったら視界はくるりと反転して真っ赤な血溜まりの中に倒れている景色が映った。涙と鼻水と赤でぐちゃぐちゃに歪む世界の中、たくさんの傷でぼろぼろの手を必死に向こう岸に伸ばす。届け届け届けこの手よ届け。ムーンイエローがこちらをふり返ってあともう少し、のところで同じ色をした翠玉のガキが不満そうに服をひっぱってそれに気づいた少女が嬉しそうな笑顔をひとつ浮かべると、二度とこちらを見ることはなかった。その瞬間空から雨だれがぽつりと落ちてきて三回くらい瞬きをくり返していると一気に数え切れないそれが体を貫いた。頬に流れたのは雨の名残か、それとも。



「彼」は、少し微笑みながら、目を閉じた。


何かに引っぱられるようにして意識が浮上する。嫌な汗が頬を伝う。きつくシーツを握りしめて荒い呼吸を整えていると平和そうなチーグルの寝息が耳に入って、三呼吸分の後飛び起きた。辺りを確認し身につけている服を見て彼は自分の置かれた状況を理解できてしまって眉をひそめながら(おい、)呼びかける。そいつの意識があまりにも深く沈んでいるのかまるきり返答はなくて三度目の呼びかけの後彼は舌打ちをした。冗談じゃねぇ。明日には存在を競う劣化レプリカの体に(くそっ、何が悲しくて)いつまでもいられるか。



ため息とともにティアに落とされた毛布にくるまりながらナタリアは夜空を見上げた。ケセドニアの風には砂が混じっているから彼女の髪の毛を何かの巣のようにしてしまうし(なんて忌まわしいことなの!)埃くささが鼻をついたけれど、故郷のものとは違う太陽の匂いはナタリアを楽しませた。今はそれも引っ込んで誰もが寝静まった冷たい藍色の空にきらきらと黄砂が舞っている。「……ばかですわね、わたくし」来る筈もない人の影を探している。来ない来ない。彼はここへは来ない。わたくしはそれを知っていて理解しているけれど、わたくしは彼を待っている。……わたくしはそれを知っていて理解しているけれど、せめてこの夜が終わるまでもう少し、わたくしに彼を待たせて欲しい。



扉のその先にあるものを見つけて、不愉快なチャネリングが途切れるまで大人しく部屋の中にいなかったことを呪った。うずくまるようにして座っている彼女に目が奪われる。(けれど記憶のムーンイエローの方が鮮やかだったように思えた。)即座に踵を返そうとしてしかし足は彼の意思を完璧に裏切って今まさに木の板を踏もうとする。(なっ、てめ、まさかっ…………!)非常に腹立たしい事実に思い至ったけれど既に時は遅く彼女の瞳はしっかりと彼を捉えて不幸にも、その唇から洩れた呟きを……不幸にも、彼は理解してしまった。ナタリアはゆるゆると首をふって「……ルーク、どう、しましたの?」と微笑んだ。その、泣きそうな笑顔にアッシュは言葉を見失って、首を傾げたナタリアが何かを言う前に明日に響くからもう寝た方がいいと少しぶっきらぼうにけれど気休めにルークを装って言うと彼女がおかしそうに声を立てる。「ふふっ、だ、だって、まるで、」けれどその続きは「いいえ、何でもありませんわ」とぽつりと打ち切られて、少しの逡巡の後ナタリアは立ち上がった。「、ルークの言う通り、もう休むことにします。あなたは、どうしますの?」「いや、まだ……」と思わず言うとナタリアの片眉が若干跳ね上がって(人に最もな忠告をしておいて当たり前だ。)けれど諦めたように笑って自分の肩に掛けていた毛布を掴み「風邪を召さないように、」アッシュをぼふりとくるんだ。そして満足そうにアッシュの肩を叩き、彼女は立ち去ろうとする。「おやすみ、ナタリア」聞こえるか聞こえない程度の声量でその背中に声をかけると、思わぬことに彼女がふり返って、青草の瞳がええ、おやすみなさいとやわらかく微笑んだ。



「………………おやすみ、ナタリア」意地っ張り、と子どもの声がした気がした。




「転びますよ、」「え、きゃあああっ!」ため息まじりに忠告されたのとほぼ同時に前につんのめりそうになってナタリアは声をあげる。けれどジェイドが難なく片腕をポケットにつっこんだまま彼女を支えたので地面に激突することはなかった。ふわりと香水が鼻をくすぐってお礼を言おうとしたナタリアの舌がよく回らず口を何度かぱくつかせるていると「ざああああああ……────!」雄大な風の音が耳を打ってぼんやりとしていた視界が明確になる。「……ここで、結構ですわ」声が震えているのをジェイドは気づいていたのだろう。けれど彼は何も言わなかった。



彼がこの世界で生きていたという証明できるものは私の記憶しかなかったので、何を埋めたらいいのか正直悩んだ。(この、心臓を抉りとって埋めればいいのかしらね。)きらきらと光る小石を見つけて、何となくそれを集めることに決める。光がさんさんと降る中セレニアの花たちは固く閉じていて(ごめんなさい、)と謝って何輪かの花を手折る。鼓動を止めた冷たい体をナタリアは見ていない。写真も髪も持ち物も衣服の切れ端すらナタリアの手元には残っていなくて(だからバチカルに建てられた墓標は空で、いま埋めるものもない)目には見えないとても曖昧な、しかし何ものにも代えがたい大切な思い出をくれた彼に苦笑してしまう。なるべく日当たりのいいところを選んで固めで太さのある枝を探したけれどそうそう丁度いいものが見つからなくて諦めて手で掘る。爪の間に入ってしまうのは気になったけれど、土はひんやりと冷たくて気持ちがよかった。だいたいのところで止めて、さっきの小石に手を伸ばす。しかしそれは微塵も光など放っていなくてそこら辺に落ちている石と何も変わらないのが引っかかったが、結局その石を埋めることにした。最後に折った花を添えて、汗ばんだ額を拭う。なんだ。終わりはこんなにもあっけない。こんなにも、あっけなくて悲しい。ナタリアは泥まみれの手で顔を覆った。「っく、ふっ、うぇ……」



おやすみ、ナタリア。


自分がどんな顔をして笑っていたかわかっていた?みくびらないで。何年あなたの幼馴染みをしていたと思うの。わたくしはあなたが教えてくれないと知っていて理解していたけれど、それがひどくかなしかった。騎士なんていらない。王冠なんていらない。きらきら光るドレスなんて切り裂いてしまえ。背中が、欲しかった。大好きな人が安心して心を預けてまどろんでくれるような背中が欲しかった。わたくしの背中はそんなに頼りなくて折れてしまいそうでしたか?嘘つき。おやすみじゃなくて、さようならだったくせに。ふっとナタリアの世界が真っ暗になった。「こ ないでっていったのに、」目を塞ぐジェイドの手袋がじわじわと染みていって、「ナタリア」甘いにおいはひどく優しくて残酷だ。「怒りっぽくて、優しい、誰もが羨むような素敵なおばあさんになりなさい」「あっしゅがいないの」「アッシュがいない故に、です」「でも、わたくしはアッシュが好きなのに、アッシュは、ここにはいないの」騎士なんていらない。王冠なんて投げ捨てて、きらきら光るドレスなんて切り刻むの。たぶん永遠に好きなあなただけが、いないんです。




夢を見た。赤い髪の翠玉のガキが右側の服を容赦なく掴んで青草色の瞳をした金髪の少女に左側をものすごく不満たらたらな顔で、ひっぱられる。しまいには両方からぎゃあぎゃあと泣かれて、観念したように頭を撫でながらこう言うたぶん絶対に叶わない幸せな夢。「約束、してやるから」

それが、彼が最後にみたものだった。


(この世に永久不変なものなどなにひとつない。けれど、)

- end -